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石化伝承(女郎子岩・女婆石・佐用姫岩) | |||||||||||||||||||||||
![]() 人間が石になってしまった物語、いわゆる石化伝承は日本各地で見ることができる。しかも、そのほとんどが女性で、悲しい物語として伝わっていることが多い。日本にある幾つかの石化伝承を紹介したい。 「女郎子岩」 北海道の積丹半島近くに高さ約50メートルもの奇岩が海中に立っている。この岩は乙女の立姿に似ていて女郎子岩と呼ばれている。この岩にはこんな伝承がある。 文治五(1189)年、奥州で死んだとされる源義経が、北海道に逃れ積丹岬の入舸港に上陸し、ここにしばらく滞在したという義経伝説がある。義経はこの地の首長の娘シララと恋仲になったが、やがて別れも告げずに去ってしまった。シララは悲しみのあまり投身自殺をし、彼女の化身がこの「女郎子岩」になったという。 「女婆石」 ![]() 福島県のいわき市に女婆石と呼ばれる石がある。船鮒山(約50メートル)の山頂に老婆の形をした高さ2メートルほどの石が海に向かって立っていて、この山頂から海が見える。 昔、松川與作なる者が海へ漁に出かけたまま、難船でもしたのか戻らなかった。その母は深く悲しんで、日夜、船鮒山へ登っては沖を見つめて日を過ごし、「あぁ、今日も與作は帰らないのか」とさめざめと泣き伏すのであった。風の日も雨の日も老母の姿は山頂にあり、そして唄うが如く、「沖で見ゆるは誰が舟だ、松川よさが舟だもし」と口ずさんでは沖を望んで日を重ねた。しかし、與作はついに戻らず、老母も風雨に打たれて待つうちに、石と化してしまったという。 この山は別名「女石山」とも呼ばれ、與作を夫とする説もある。 「佐用姫岩」 ![]() 唐津市の松浦川河口岸に佐用姫岩と呼ばれる岩がある。万葉集が詠まれた時代、松川佐用姫が朝鮮半島へ船出する大伴狭手彦になごりを惜しみ、船を追って鏡山を駆け下りた場所が佐用姫岩で、足跡が今でも岩に残っているという。 佐用姫伝説は『肥前風土記』によれば、佐賀県唐津市、伊万里市、東松浦郡などにも分布し、その他に岩手県や宮城県にも似たような伝承がある。 この佐用姫伝説は日本三大悲恋伝説の一つになっていて、望夫石伝説として語られる場合も多い。サヨ姫という女性は人柱伝説の主人公としても知られている。 石化伝承には、日本の古代から思想が色濃く反映しているように見える。伝承が生まれる背景には、少なくとも男性社会からの命名であることは間違いないであろう。 |
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