「もしも『彫刻公害』という言葉があるのなら、ぼくはそういう作品はつくりたくない。よく街中にあるでしょう、アートとしてどうかなぁと思うような、やたらと大きくて、特に見たくもないのに勝手に眼に入ってくる石彫作品が…。ああいうのはイヤだな」
美術一家に生まれた双葉さんは当初、グラフィックデザインを学び、劇団四季で舞台装置のデザイン・制作を手掛ける。その過程で立体表現のおもしろさに気付き、23歳で渡米。ニューヨークの美術学校でイタリア系作家、フィリップ・パヴィア氏のクラスを選択し、石彫を学ぶ。卒業後も約7年間、ニューヨークで創作活動を続け、個展(企画展)等を開くかたわら重要文化財(石造)の修復を数多く手掛けた。
そんな双葉さんにとって、学歴や賞歴はまったく重要ではない。大切なのは「自分は何者なのか」という問題に嘘やごまかしなく、真正面から立ち向かうこと。そしてその自問自答を通して、「何を表現するか、できるのか」を考えること。この姿勢はニューヨークでの生活から得たものだと言う。
「欧米では、彫刻作品も絵画と同様に家の中に飾ることが前提です。生活の中にアートが根付いているから、当然、アーティストにとってはとても厳しい環境。作家も高い意識を持っている。日本ではまだそのレベルに達していないでしょう。だから芸術が商業的になりがち。そこにアーティストとしての『自分』がどれだけ表現されているのかと考えると、すごく疑問に感じます」
ニューヨークでの生活は決して恵まれていたわけではなかった。だけど双葉さんはつくり続けた。
「貧乏にびびっていたら何も生まれない。貧乏は当たり前。それでもつくり続けるのがアーティスト、そこから何かを生み出すのがアーティスト」。
そのハングリーで自由奔放な姿勢を、日本で制作する日本人作家に求めるのは、前述の通り芸術の置かれている環境の違いから、少々難しいかも知れない。でも商業的な芸術ほどつまらないものもないだろう。双葉さんは、こんな話もしてくれた。
「日本での石彫作品の位置付けは、一部の人たちだけの娯楽的なものであって、それ以外の人にとってはただのモノでしかない…。でも欧米では人々の精神的な支柱になっている。心の中の実用品」
ここで冒頭の言葉の本意に戻るのである。双葉さんは常に一般家庭に受け入れられるような、ただ単純に「欲しいな、家に飾りたいな」と思われるような作品をつくっている。でも、そこには一切の妥協もない。中途半端な気持ちで「売れる」作品をつくっているわけではない。苦しい自問自答を繰り返し、自分がいままで蓄積してきた物事やその時々の心の動きを正確に分析し、そこから生まれるイメージを普遍的なかたちとして表現する。そしてその普遍性が鑑賞者の心に何かを宿す。その「何か」こそが双葉さんの作品であり、魂の実用品としての機能なのだろう。
「制作中は瞳孔が開いて、ほとんど狂人みたい(笑)。特にニューヨーク時代はひどかったよ」
だけど、その作品からは双葉さんのそんな姿はイメージできない。作品がスッと素直にこちら側のどこかに入ってくる。「鑑賞者を悩ませるような作品はつくりたくない」と双葉さん。自分の中で生じるたくさんの葛藤を、普遍的なものとして表現する。
取材の最初に作品集をぱらぱらと見た。色々な表現が目に飛び込んでくる。ただ単純に「欲しいな」と思える作品もある。そんな気持ちも込めて「おもしろいっすね」と言うと、「ありがとう!」という快活なこたえ。鑑賞者が悩む必要はまったくないのだ。「石彫は『瞬間芸術』なんだから」と双葉さんは言う。
◎アトリエ/自宅
神奈川県逗子市久木6−1−9
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「Fisherman On The Sea」(本小松石使用)
 「Living in the Moment」(ベルモントグリーンマーブル使用)

双葉さんのご自宅も拝見。作品が飾られていた。日常生活とアートとの共存。境界線など必要ない。
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