プロフィール


石の彫刻家の




山口県美祢市は日本を代表する大理石の産地である。地元には江戸時代中期に大理石でつくられた鳥居や狛犬、灯篭、石仏などの石造物が数多く残るほか、古民家の塀や基礎にも大理石が使われていて、地域に根付いた石材として大事に使用されてきたのがわかる。また豊富な色や模様の違いにより約40種類にわけられ、そのうちの10種が国会議事堂にも使用。いまもその内装を美しく飾っている。

その美祢を拠点に、美祢の大理石を愛用し、制作に励んでいるのが後藤秀樹さんだ。山口県に生まれ育ち、故郷に色濃く残る大理石の文化≠ノ感動したひとりである。

「しかし全国的に見ると、欧米に比べて、日本には大理石が文化として根付いていない。日常の中で、大理石の良さをいかに理解してもらい、いかに大理石ファンを増やすか。もっと身近な素材として知ってもらいたい。これが私にとって一番の課題です」と取材時に後藤さんは何度も話した。美祢の大理石産業も昨今は厳しい状況になっている。「大理石文化の普及」にかける後藤さんの想いは、もちろん自分のフィールドである彫刻界にも関係することではあるが、同時に美祢の大理石と関係を持ちながら活動を続けられたことへの「恩返し」でもあるのだろう。

後藤さんは、彫刻家としては少し異色な経歴の持ち主である。と言っても、東京芸術大学を卒業後に大理石彫刻の本場イタリアへ渡るなど、アーティストとしての王道もしっかりと歩んでいる。

「もともと生家が大工をやっていて、大工道具がたくさんあったんです。子どもの頃から木を彫るのが楽しくて、お面をつくったりしていました」と後藤さん。浪人中に東京・上野で19世紀フランスの彫刻家ロダンの作品『パンセ』に魅せられて芸大に進学。彫刻を学び、大理石での具象彫刻をテーマにするが、当時はまだ身近に大理石用の道具もあまりなく、大学卒業後にイタリアへ。当初は一年の予定が、五年間滞在し、31歳で帰国。その1年後に故郷山口へ戻り、美祢で制作をはじめた。

「美祢に来てからは、本当に多くのひとに支えられて制作しています。いまのアトリエや機械も、ある石屋さんから譲っていただいたものです」

美祢最大の観光地、秋芳洞では大理石でつくった工芸品が土産品として販売されている。後藤さんはイタリアで工芸品も制作していて、共通点が見つかった。自身の作品制作とは別に、作家としての感性を生かして、美祢でも大理石の工芸品制作に着手する。主に工芸品制作の石材業者等で組織する山口県大理石加工協同組合(現、山口県大理石・オニックス組合)にも加盟し、芸術家らしい斬新さで事業を提案。先に異色と言ったのは、その提案や取組みが支持されて、後藤さんは同組合長まで務めたからである。

中でも特筆すべきは、1996年から5年間続いた『美祢国際大理石シンポジウム』の開催である。後藤さんがコーディネーターとして企画し、国内だけでなく海外の彫刻家からも広く注目された。何よりも、一般市民が参加するシンポジウムという形態から、前述の言葉にある「大理石文化の普及」のために大きな意味を持っていたと言える。そこで制作された17作品は、いまも来福台≠ニいう住宅街にあり、住民に憩いの空間として親しまれている。

「いまは組合活動からも距離を置いています。今後は作家として、自分の作品で、美祢の大理石産業に恩返しをしていきたい」と後藤さん。同じく彫刻家の奥様、石田京子さんとの共同アトリエで、愛犬チャチャの頭を撫でながら笑顔で話してくれた。



◎アルティ・ドゥエ工房
山口県美祢市伊佐町伊佐山立2196







石材業者から譲り受けたアトリエ





 

作品『白と緑のための形態』(左)と『愚意』