| プロフィール |
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石の彫刻家の | ![]() |

日本を代表する銘石のひとつ「大島石」の産地・大島に構えたスタジオを拠点に国内外で活躍する彫刻家が宮内宏さんだ。実は小誌「日本石巡礼」で連載しているカメラマン、須田郡司さんからご紹介を受けたのであるが、訪問前に須田さんから教えていただいた宮内さんのホームページをまずは拝見した。するとそこには、「石には意志があります。そんな石の意識をかたちにしました」と記してあった。 今治から大島へ渡ると、港まで宮内さんがトラックを乗り付けて待っていてくださった。真っ黒の肌に鋭い目つき、頑強な体つき。一瞬ひるんでしまいそうな雰囲気であったが、「どうぞっ!」と言って見せた笑顔が意外なほどに温和でほっと安心。そのままトラックはスタジオへ向けて山を登り始めた。 「石は地球の内臓みたいに感じる。石で作品、特にモニュメントをつくると、私にとってそれは生命の出入口になるんです。石を採るということは地球の一部を破壊する活動なんだけど、その石にもう一度生命を吹き込んで、地球の一部として還元していくのが私の作品だと思う。モニュメントとして街中に設置すると、そこが地球の空気孔になる。…そういうことを考えていくと、石は大きなエネルギーを持っていて、その石に触れたり、見たりすることで人は生命を感じるんじゃないかと…。何だか難しいですけどね」 宮内さんは大島石を使用して、自らが設計・施工したスタジオのリビングで、果汁たっぷりのみかんにかぶりつきながら、そんな話から始めた。「石のエネルギーの話になると、止まんないんですよ」と笑うが、島そのものがみかげ石でできている大島にいて制作していると、自然と「石エネルギー」を感じるようになるのかも知れない。でもこれはやはり「彫刻家、宮内宏」にしか分からない感覚なのだと思う。 宮内さんは武蔵野美術大学で彫刻を学び、その過程で石と出会った。鉄や木、せっこうなどの素材では感じられない「広がり」を石に見出して石の彫刻に没頭するようになる。宮内さんが学生時代は各地でシンポジウムが盛んに開催されていた時期で、宮内さんも八王子や萩のシンポジウムに助手として参加。国内外から時には数十人もの作家が集まるシンポジウムは、当時の宮内さんにとっては「とても刺激的で、衝撃だった」と振り返る。 お会いする前に見た宮内さんのホームページは何となく独特の印象を見せていた。と言うのも、海外、特にインドでの創作活動(シンポジウム参加)が数多く紹介されていたからだ。語弊があるかも知れないが、決して恵まれた条件が整っているとは考えられないシンポジウムである。それは掲載されている写真からも十分にうかがい知ることができた。重機もなく人力や牛の力を借りて、大きな石を動かしている。それでも「インドには1995年から毎年行ってるよ」と宮内さん。「何かほっとするんだよね」と笑う。 なぜ、宮内さんはインドにひかれるのか。悪い言い方であるが、なぜ、へき地的な場所で石を彫るのか。これは大島に行く前から気になっていた疑問だったので、実際にスタジオで聞いてみた。以下はその答え。 「日本では忘れられた石の重さや硬さが、いまでも堂々と生きているんだよね。インドでは石造寺院の建造がいまでも行われていて、たくさんの石工がそこらじゅうで石を彫っている。もちろん手で、ノミを使ってね。石工が現役なんだよね、まだ。そして、そこには石に対する畏敬の念があって、それはたぶん日本ではもう味わえないんじゃないかなって思うんですよ」 現在は来年夏に開催予定のモンゴルでのシンポジウムのために各方面にPR活動をしている宮内さん。いつも遠くを見つめているような目が印象的だった。 ◎ミヤウチ・スタジオ(愛媛県宮窪町) URL:http://www.h5.dion.ne.jp/~stonemia |
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![]() ![]() 作品『中心』。ブルガリア国際彫刻シンポジウムにて制作(1998年) ![]() 作品『地球の涙』。インドIPCL石油公社国際彫刻シンポジウムにて制作(1995年) ![]() “石の灯り”シリーズの『爆石』(1993年) ![]() アトリエは約10年前に建てた。大島石を使用した空間が落ち着ける ※作品写真は宮内さん提供 |