プロフィール









兵庫県加西市に、凝灰岩質「長石」の採石場がある。全国的に流通はしていないが、地元では古くから塀石垣や神社の鳥居、灯篭などに使用されてきた石材である。最盛期には多忙を極めた丁場も、いまは受注が減少し、どこかひっそりとしてしまっている。間知石の出荷がメインだと言う。

その長石丁場の一角にアトリエを構えて制作に励んでいる石の彫刻家が、水田勢二さんである。国内外のコンクールやシンポジウムに精力的に参加するフリーの作家だ。生まれは加西市に隣接する福崎町、数年前まで自宅敷地内で仕事をしていたが、住宅事情等を考慮して、この丁場に移って来た。そして長石が直面している厳しい現状をいやがおうでも知ることとなった。

「二十代の頃はただがむしゃらに制作していた。自分の作品ばかりを見ていて、世の中のことに少し無頓着になっていたと思います。まずは、自分ありき、だったんですね。実績をつくりたいのでコンクールにもどんどん参加しました」

このがむしゃらさを水田さんは、「社会性や協調性が足りなかった」と少しマイナスに振り返る。しかし若いアーティストにとって、このがむしゃらさは当然のことではないだろうか。特にフリーで活動して行くためには、手探りでも自分の場所を広げて行かなくてはならない。話を聞くと、水田さんのがむしゃらさは大学時代から見られたようだ。

「筑波大学芸術学群に入学しましたが、粘土を使った彫塑の授業がメインで、おもしろくなかったですね。先輩の彫刻家も団体展(日展など)に属する人が多く、中学や高校の美術の先生、という将来にも魅力がない。自分のポジションがすでに見えてしまっているじゃないですか。だから授業はそっちのけで、ひとりで大学以外の石彫家の手伝いをやっていました。実際に石を彫ると、授業で粘土なんか触れなくなるほど夢中になって…」

そして、ついに大学を中退。将来的な確約もなくなり、その結果、二十代は自分の表現の場を求めて、またそれを拡大するために、がむしゃらにがんばったのである。言わば、フリー作家の宿命だろう。

いま、(失礼な言い方かもしれないが)水田さんは少し落ち着いているように見える。がむしゃらさから一歩引いて、「社会の中での自分(作品)の存在意義を考えられるようになった」と話す。「時代や環境やそこに住む人々と、自分との調和。社会に対して、石彫家の自分が一体何をできるのか」をまずは考える。

この変化は、いままでに培った実績や自信から生まれていることに間違いない。でも水田さんが言うには「自分が父親になったことが一番の影響かな」と笑う。現在十歳の長男凱くんの誕生後、自分の中で《社会性》や《協調性》という言葉が大きな意味を持つようになったと言う。それは父親としての責任感の表れであり、また同時に、自分の彫刻をビジネスとして割り切ることも意味している。

そんな水田さんの今後の課題、それは「伝統の継承」だと言う。

「昔からあるもの、伝統的文化は大切に後世に伝えるべき。こんな田舎でも身近な伝統が廃れつつあり、これはとても悲しいこと。それを守り、継承することが、私たちがやるべきことのひとつ」

そしてその廃れつつある身近な伝統の最たるものが、長石である。長石を使った彫刻シンポジウムでも開ければ…と三児の父、水田さんは思案していた。

◎水田勢二(自宅)
 E-mail:ggs-mizuta@sannet.ne.jp
 兵庫県神崎郡福崎町八千種4089‐1
 TEL・FAX0790‐22‐7139