カツン・カツン・カツン…と石を彫る乾いたノミの音が武蔵野美術大学(東京・小平市)の広い石彫場に響きわたる。一定のリズムで振りおろされるセットウは、身体がいつもの調子を取り戻すにつれ、的確にノミを打ち、気持ちよく石材を落としていく。カメラに向かって飛んでくる石片は当然のことながら容赦のない勢いで、思わず驚いてしまうくらいだ。
実を言うと、大変失礼な話だが、約2年前に個展会場で初めて大島さんにお会いしたとき、「本当にこの人が彫るの?」という疑問を感じてしまった。自分が勝手に抱いていた『石彫家』のイメージとはかけ離れた雰囲気の女性だったし、本小松や黒みかげ石を使用して、丁寧につくり出された面が自然に連動しながら表現しているその作品を見ると、「本当に…?」という興味はますます強くなった。そういう興味は実際にこの目で確かめないとスッキリと晴れない。と言うこともあり、取材をお願いしたのだが、写真を撮り終わり「OKです」と声をかけるまで、大島さんは黙々と、楽しむように石を彫り続けてくれた。
「石を彫るのに、力は必要ないんです。タイミングと、彫りたいという気持ちがあれば、石は誰にでも彫れるんですよ」と大島さんは笑顔で話す。『タイミング』…? 「自分の身体と頭を使って作品をつくれるのが彫刻の魅力、好きなところ」と話す大島さんの言葉を借りれば、『タイミング』とはきっと自分の身体と手と感情と、道具と、そして石と、すべての要素が一体となった瞬間を言うのだろう。
それは大島さんの話を聞けばよく分かる。
「わたしはできるだけ時間をかけて、ゆっくりと表現したいんです。制作中はあえて手をとめて、考える時間をたくさんつくります。自分の表現したい感情が強く出てくるまでジッと待つ。いくら『彫りたい』『彫れるぞ』って身体が要求していても、内面から感情があふれ出るまで我慢するんです。その作業が一番つらいんですけど(笑)」
だから、体力や勢いだけで石を彫るのではない。タイミング重視なのである。あふれ出る感情が全身の力となり、その力が手から道具へ、そして石へと伝わっていく。決してあせらない女性らしい優しい力。それが、大島さんの作品なのだろう。男性作家には難しい表現かもしれない。
大島さんの作品を見ると、曲線(曲面)的でやわらかく、いかにも抽象的に思える。でも本当は「具象作品をつくっています」と大島さん。自分とひと、動物との関係を具象として表現していると言う。
「わたしが毎日の生活の中で実際に接した人や動物から感じたもの(感情など)を具象化しています。それはすごく日常的で、とりとめのないもの。作品のためにテーマを探すのではなく、日記みたいに…」
日記がわりのデッサン。その日の出来事や、その時々の感情を文字ではなく、かたちとして残す。新しいノートを用意すると変に構えてしまうのでデッサン帳などは持たない。ノートの切れはしやチラシの裏、時には「水道料金の請求書の封筒とか(笑)」。だから無意識に捨ててしまうこともあるけど、それだけ大島さんの創作は日常的なものなのだろう。
そんな大島さんの作品のタイトルはデッサンの段階で決まることが多いと言う。昨年末の個展で発表した作品―『強い願い』『そんな表情ばっかり』『おじゃま虫』『もしかして』…その時々の大島さんの感情、想いなどを物語っているかのようで面白い。
現在は武蔵野美術大学・共通彫塑研究室のスタッフとして働きながら、作品をつくる大島さん。石を彫る手を休め、ジッと我慢して、想いがあふれ出てくる瞬間を静かに待っている姿が思い浮かぶ。
◎武蔵野美術大学(共通彫塑研究室)
TEL.042-342-6082
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昨年暮れの個展で発表した作品。手前が『徘徊』(本小松石)、奥は『強い願い』(黒みかげ石)

1月に開催されたグループ展で発表した作品。左が『おじゃま虫』(本小松石)、右は『袖のあり様』(同)


大島さんがアトリエとして使用している母校、武蔵野美術大学の石彫場。取材当日はふたりの大学院生が黙々と石を彫っていた。
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